留学後記隔離解除編

コロナ禍が最高潮に達した二月の末に、日本からやってきた私を待っていたのは二週間の隔離生活であった。今となっては「隔離」も聞きなれた言葉になり、コロナ関連の単語では比較的ポップな響きさえ感じられる。時代の先駆者みたいなツラをして二週間部屋から一歩も出(れ)ず、甘んじて隔離されていた私だが、今更隔離中に見たネトフリのレビューなんか書いても二番煎じもいいところだし、実際にはヤ○ーの記事を眺めてため息をついていたことくらいしか覚えていないので隔離期間中のことは書かないことにしたい。そんなわけで隔離が解かれたのだが、対面授業ができないので、友達は隔離解除後に出会った日本人三人だけという留学生にとっては最悪な状況になってしまった。

 

 

 

三月某日

 

何とかして友達を作ろうと思っていた(無策)矢先、日本人の友達から言語学習アプリを教えられ、まんまとダウンロード。基本的にはメッセージをするためのアプリっぽいが、現地にいるので○ィンダーと全く同じ代物を得たことになった。日本にいるときは出会い系アプリで人と知り合うことに懐疑的だったが、こういう状況だと、たまたま同じ大学にいる日本人と、アプリで出会う韓国人のどちらが信用に足るかなどと言うのはナンセンスである(適当)。インターネットの人と会ってみるみたいな経験は今までしたことがなかったが、政府の統計も信じられないこの時代では、「日本語を学んでいるという韓国人」にインターネットを通じて会ってみる、みたいな話はめちゃくちゃ調子がいい。

 

三月某日

 

年上男性(仮にヒョン1とする)とアプリで友達になった後、二人目の人に会いに隣の市にバスで一時間かけて移動。当初女だと思っていたが会ってみるとひょろっとしたメガネの男子大学生であった。どうやら彼はこの手口で人と会っているらしく、自分のネットリテラシーの低さに絶望した。別に男女どちらでもよかったが、女と思って会いに行っているわけなので、合った瞬間帰りたくなったことは言うまでもない。さらに彼は、パーソナリティが卓越してきもかった。あって二分くらいでAVの話をし始め、女優にあったことはあるか、出演したことはあるか、おれはゲイものも結構好きだ、お前の学校のベトナム人と3発、、、などとありとあらゆる猥談を披露してくる相手方に対して、「この後犯されるのかな、」とまで考えてしまった。基本的にそういった話はあまり積極的にするタイプではないが、何かのご縁ですから、と深田えいみをお勧めしてあげた。結局彼はあって30分ほどでお母さんから召喚され、帰ってしまったので期せずして別れることになった。猥談以外にも安倍晋三山本太郎に追及される動画が面白いなどと言って見せてきたり奇行が散見されたためその後は一切の連絡を遮断しているが、深田えいみを気に入ってくれたかだけは、何かの折に確認したい。

 

5月某日

 

日本が緊急事態宣言で外出自粛を余儀なくされる中、韓国では国会議員選挙が行われ、おおよそ日本と同じタイミングで連休に突入した。このころすでに韓国は外出自粛モードからは脱しており政府としては、ソーシャルディスタンスを保ち、人の多いところを避けたうえで旅行などを楽しんで下さい、とのコメントを出していた。今考えるとこのメッセージは、ある程度の感染再拡大は織り込み済みのコメントと考えてよさそうである。結果的には済州島に数万人の観光客が押し寄せたり(クラスターにはならず)、梨泰院ではクラスターが発生してしまい、若干コロナ再燃に近い状況になっている。また、梨泰院のクラブの件に関しては、クラスターになったのがゲイクラブということもあってネットではマイノリティへのお門違いな批判が散見されていた。そういう状況になると決まって、「ゲイの人たちを批判するのは違くない?」みたいな人たちがツイッターとかにあふれるのだが、そういうツイッターの流れは特別変わったことではないし、コロナ以前からもよく見られた光景である。しかし今回の件に関していうと、「ゲイクラブを批判するのは差別だからよくない、言いたいのは気がゆるんでクラブに行った人たち。気を緩めたらすぐに元に戻っちゃうんだよってことを分かってほしい」みたいなツイートがあふれかえっていて本当に気持ち悪くてカオスであった。こういうツイートをしている人たちは自主隔離とか外出自粛を頑張っている人たちに多かったが、かなり視野狭窄っぽいツイートに見えてしまう。なぜならクラブを運営する側の人たちも生活をかけてやっているし、そこに行って金を落とす人たちのことを無責任だ、などと言うのはあまりにも自分勝手であると思うからだ。さらに嫌なのは、そういった経済の仕組みはなんとなくわかっていながらも「気のゆるみ」などと精神論に走ってしまうその精神性である。自分が遊びに行かず自粛を頑張っているのに気の緩んだ誰かのせいでコロナが再燃し、自粛生活が伸びたらどうしてくれるんだみたいな気持ちもわからなくはないが、自粛して金を使わないあなたと、クラブで金を使ってコロナをばらまくことのどちらがどれくらい悪いなんてことは言えないのである。「命のほうが大事だからクラブに行くことのほうが悪」などといったところで、飯が食えなくなったクラブの人が死ねば、感染しなかった「あなた」は死ななくても別の人が死んだので社会的には同じことである。などと考えていた矢先、それなりに尊敬も信頼もしていた教育者が似たような例の精神論ツイートをしているのを見てかなりげんなりしてしまった。家で仕事ができる人は得てして感染リスクがプライオリティになりがちであり、だからこそ「気の緩み」みたいなことを言ってしまうわけであるが、社会的には感染者を抑えながら日常生活を再開するのが目的なのだから、はっきり言って感染者数が増えてもクラブに人が集まる状況はそこまで攻められるべきものではないし、むしろそこを目指して自粛をしているようなものであるのだ。

 

ツイッターを見てると気の緩みなどと言って「団結」をあおる自粛ポリスがめちゃめちゃたくさんいるが、こういう時こそ団結しようとせずめいめいが粛々と、できる範囲で行動しつつ、人の行動には口出ししないことが一番であると思う。