無題

2月某日

初めての海外出張はオーストラリア。

なんだかんだで目標にしてきた仕事をしているので、前向きに仕事ができている実感があり調子がいい。

 

一応使えるということになっている英語の実力はさておき、やはり気合があればなんとかなるし、気合が大事なのだと気づいた。

 

 

3月某日

人生初フィリピンパブに行ってみる。

 

後輩につれられて入った店内では、酒に酔い局部を露出する大企業の中年社員を見て、ああはなるまいと決意を新たにする。と同時に居心地が良くなかったのでもう行くことはなさそう。

 

 

3月某日

成人式以来連絡すら取っていない幼馴染から5年ぶりの連絡。このタイミングで急に元気?と聞かれるのは確実に冠婚葬祭の知らせであると高をくくる。

 

しかし正解は勧誘の「勧」。今は首都圏で暮らす彼だが、一緒に野球をしていたときと同じ地元の方言で懇切丁寧に、歯磨き粉や化粧品の口コミを広げていくビジネスを勧めてくれた。良かれと思って丁寧に説明をしてくれるが、パートナーが全国に1万人くらいいることなど、説明を聞けば聞くほどア○ウェイである(実際は競合他社) 。

 

彼の方言は当時の記憶を蘇らせるが、出る言葉すべてがあまりにも世知辛く、人生の枝分かれをお互いに進んできた成れの果てがこれかと思うとなかなか切ない。

 

しかも話を聞くと彼を招き入れたのも筆者の幼馴染で一緒に野球をしていた友達、しかもその友達の母は筆者の母と40年来の仲であり、これまたきつい話である。

 

よほどそれはマルチだから足を洗え、と言おうかと思ったが人の人生であり、めいめいの事情はわからない。片棒を担いでいることが良くないのであって彼が明日捕まるとかそういう話ではないのでしばらく静観したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無題

12月某日

なんだかんだで新卒以来勤めた会社を退職。最終出勤日には上司に嫌味を言われ、早く帰れと言われたので早退。

その後ささやかな送別会を開いてもらい、労ってもらったので鬱憤もほぼ晴れて気持ちよく退職した(ことにする)。

 

12月某日

地元の同級生に会う。

25歳である我々世代は、めいめいがなんらかの形で人生を少しずつ勧めており、筆者は転職がそれに当たるわけであるが、一方では結婚が視界に入ってくるものもいる。

 

同席した同級生女子たちは出産から逆算して結婚を考えており、着々と準備を進める者、彼氏に発破をかける者とスタイルはそれぞれである。

しかし1年ぶりに会った途端自分以外全員結婚が視野に入ってきたというのはなかなか面食らう事実である。前にあった時との比較をすると、そのグラデーションというかトランジションがあまりにも鮮やかであり、少し焦りそうにもなってしまう。

 

とはいえそういう話を聞いて焦ったり刺激を受けたりするのが、年数回会う友達との付き合い方なのだろうと思う。自分は自分の人生を頑張りたいし、引っ越したらまた違う山に登山にも行きたい。

 

1月某日

引っ越して、新しい職場で初出勤をする。

退職引っ越し転職の流れはあまりにもスムーズでもはやなんの緊張も驚きもない。

学生の頃は担任が変わったりクラスが変わったり、実家を出て一人暮らしを始めたりするたびにドキがムネムネしたわけである。

それが歳を重ね経験を積むと大体のことに驚いたり不安になったりしなくなる。本当に恐ろしいことである。

 

2024年の目標

・裁縫を習う(できれば教室などで)

・英語上達

 

 

 

 

 

無題(加筆)

8月某日

足かけ1年、転職に希望を見出してなんとなく生きてきたがだいぶきつくなってきた。

ちょうどそのタイミングで韓国から友達がやってきて騒いだあと、夏風邪をこじらせ咳が止まらなくなった。止まらない咳と外仕事でビシャビシャのマスクに四苦八苦しながら公務員試験不合格の知らせを受け、人生がいい感じになってきた。

 

9月某日

「チョンキンマンションのボスは知っている」を読む。香港で様々な零細ビジネスを営むタンザニア商人たちの話である。

感銘を受けたのは彼らが、「一貫して信頼できるやつなんかいない」「人は状況によって裏切ったりするものである」的なスタンスで人生やビジネスに臨んでいるところである。

 

たしかに人は状況によっては裏切るときもあれば人に金を借りるときもある。

息子に金を借りるときもあれば、返済を無利子分割でしょうとするときもあるし、分割払いを延滞したりもする。

 

今の筆者に必要なのはタフさである。ここで金の貸し借りをやめてしまうのは簡単だが、のちの大きな利益や困ったときの助け舟を期待して年間20万を貸すのは決して悪い商売ではないかもしれない。

 

 

10月某日

母と旅行に行く。

 

居酒屋で母親が知らないドイツ人男性二人組にベロベロになって絡む。

何故か彼らに「君くらいの歳になると親のこういう姿も見ることになるんだ」とありがたい一言を頂く。

年相応に手の掛からない子供になったかは疑問である。

 

 

11月某日

友達とトーフビーツのライブを見に行く。

大学時代はトーフビーツばかり聴いていて思い入れが深い。聴き始めて6年、最初は星野源のラジオに氏が登場したことがきっかけだったが、今では周辺の若手音楽家たちをどんどんプロモートしていてすごくカッコいい成功の仕方をしている。

 

ライブに行き酒を飲み夜中の11時に前乗りして望んだ最終面接に合格し、転職に成功。

 

無題

10月某日

出張先で謎の旅館に宿泊。ウェルカムドリンクならぬウェルカム杏仁豆腐で歓迎され、夜中に内線でポテトサラダを作りすぎたので食べないか、とまさかのサプライズ夜食まで頂く。まさに「夜中に、いきなりさ、、、」である。

 

10月某日 

急に登山が趣味になった。とはいえきつすぎるのもあれなのでせいぜい7,800mくらいの低山登山を週末のたびにやっている。

登山をしていて一番いいのは山の住んだ空気を吸えることである。正直いくら考えても山の空気を吸っているときより楽しいことにまだ出会っていない。 

最近はおにぎりを持って行って頂上で食べるとこの上ない休日になることがわかった。次はタイガーマホービンに味噌汁を入れて持っていく。

 

11月某日

近くで「えびす講」なるイベントが開催されているという。 耳慣れない響きだが、縁起のよさそうなイベントで、ついでに酒も提供されそうな雰囲気がしたので張り切って参加。 えびす講のメインはえびす様をまつる神社だが、それに合わせてセールが行われたり出店が出たりする。よその土地のそういう催しに参加するのは非常に楽しい。

 

12月某日

ラジオで耳にした「目立たないカーテンクリップ」を某百円ショップで購入。なぜ急に欲しくなったのかはわからない。

今までは書類を挟むでかくて黒くて目立つクリップでカーテンを挟んでいた。そこにラジオから聞こえる目立たないカーテンクリップ。買うしかない。こういう流れである。 買って取り付けた瞬間に気づいたことは別にでかくて黒くて目立つクリップで何の問題もなかったということである。なぜなら筆者の部屋には来客がないので、カーテンは誰にも見られないから。

 

百均のいいところは「あったらいいな」がたくさんあることで、かゆい所に手が届くことであるが、本当にそれがなくてはならないのか、そこが本当にかゆいのかは考えずに買ってしまう。大変よくない。しかしお菓子コーナーに売っていた、アスパラガスビスケットのチョココーティングされているやつは今年のナンバーワン菓子だ。今日はクリスマスイブ! 

無題(加筆)

七月某日

人生のセンパイたちがくれるアドバイスはいつでも教訓に溢れている。

 

曰く、何か打ち込めるものを見つけた方がいいとのこと。センパイには熱心に打ち込める大きな趣味があると見受けられるが、ヨガをしたり、ネトフリを見たり、料理を作ったり音楽を聴いたり散歩をしたり韓国語を勉強したりしている筆者は無趣味に見えるらしい。

 

筆者は、センパイに毎週末に熱中できる趣味があることは結構なことだと思っており、かつ自分がつまみ食い的に趣味を楽しんでいることもそれで問題ないと感じているが、お前の趣味を探してやるなどと急に言って来たりもするのでちょっとびっくりである。

 

一つのことに熱中するもよし、いろいろちょっとずつやるも良しなのだが、なんとなく一つのことに打ち込むことが正義、みたいな価値観というか、強迫観念に苛まれるのは理解できなくもない(センパイが強迫観念に駆られているのかは定かではない)。かくいう筆者も一つのことに打ち込むのが唯一の価値だと思い込んで10余年野球をしてきた。野球しかしてこなかったことに後悔はないものの、ほかにもいろんなことができたのにしなかったのだと思うとなんとなくもったいない気もする。

それに高校生のとき、野球部を引退した後遊んでいた帰宅部の友人と非常に気が合ったことも結構いい学びだった。高校球児の筆者から見れば帰宅部なんかは下等動物くらいに見えていたが、当然そんなことは全くない。筆者が野球をしている間に彼らはスケボーをしたり音楽を聴いたり、もっとたくさんのことに触れていたのだとすれば、そっちの方がちょっと良かったかもなあと思う。

 

七月某日

筆者が人に自慢できることの一つは、いろんなタイプの友達がいることである。

外国にも友達がいることもそうなのだが、バイト先でお世話になった親くらいの世代の人でも、折につけ連絡を取る人が何人かいる。バイト先のおばちゃんといえばそれまでだが、今となれば普通に友達みたいなもんである。

歳や境遇や国籍が違う友達がいると、いろんな人生があることがわかって調子がいい。調子が悪くなる時もあるが、自分のいるところではないところや、自分がいるところがすべてではないということを認識するのはメンタルヘルスを維持するためには重要なことである。

 

九月某日

冷凍の米を食べたところ、解凍し損ねた米粒をガリっとやってしまい、臼歯が欠ける。

時間がない中でもできるだけ自分で作って食べたいという考えで、週末に炊いた米をちまちまと平日に食いつぶして生活をしている。

当然時間の短縮に成功しているわけだが、その対価として修復しない臼歯を失ったことは果たして小さな代償といえるのだろうか。

もっとも、時間の短縮には成功しているが、冷凍の米はまずいし、平日のささやかな楽しみである食事を犠牲にしていると言えなくもない。

 

ここ半年くらい、仕事を始めてから時間をいかに効率的に使うかということを考えて生活しているが、果たして時間を効率的に使うことがそんなに大事なのかとも思えてくるわけである。

 

九月某日

父親にまたも金を貸してくれと言われる。今回も20万。多すぎず少なすぎず、新入社員の息子の月給と考えると非常にきな臭い額である。

前回もそうだったが、20万ともなるとおいそれと貸すわけにはいかない。やはり返ってこなかったときに息子と父の関係が一瞬にしてシリアスなものに変わってしまう。

前回利子付きで20万が返ってきたことを考えると、返済能力はそれなりにあると見てよさそうである。しかしメール一本で20万を貸せ、今回は二回に分けて成す(筆者の故郷では借金を返すことを<成す>と言ったりする)などと言ってくるあたりの人間性は、わが父親ながら感服である。本当にダサい父親像を地で行っている。そしてまた貸してしまう息子も息子である。

 

しかし心のどこかでこの不定期で来る金貸しイベントは人生っぽくてちょっと楽しい気もする。仕事と家の往復の生活に、父親からのダサい一本のメールが花を添えてくれると思えばそんなに悪いものでもないかもしれない。

無題(加筆)

三月某日

大学の卒業式に出席する。同期に一年遅れての卒業となった。

 

前日くらいまで出席するかどうか非常に迷ったが、お世話になった先生に顔を見せないのはなんとなく不義理である。大学五年間でしこりになって残っていることもあるが、最後なのでそういうのはちゃんと片を付けておきたい。

 

 

 

四月某日

仕事の関係で某県へ。数週間の本社研修である。

 

本社所在地は田舎者の筆者からしてもびっくりの田舎具合で、町のはずれにあるビジネスホテルに幽閉され、会社とホテルを行ったり来たりする生活は結構ボディーブローのようにじわじわ効いてくる。

 

たまたま研修時期が重なった先輩たちと毎晩外食に出かける。なんだかんだ言っても筆者は世の中を知らない小鹿のようなものである、先輩の10年弱の社会人生活で培った処世術を聞かされるのは社会の荒波を全身で受けているような気分で、まだまだ筆者にとってはハードであった。

 

 

 

四月某日

研修を終えて配属先の某県某市へ。移動にかかる交通費は全て支給されるが飛行機はチキチキ格安航空を予約し、育ちの良さを見せつける。

 

飛行機と新幹線を経由し、新居までのラストワンマイルはタクシーに乗る。タクシーの運ちゃんは五所川原の出身だそうで、久しぶりにもったりした東北なまりを聞いて一安心。別れ際に激励の言葉をかけられて新居へ向かう足取りが弾んだ。

 

 

 

五月某日

上司より、筆者の趣味である散歩に関してありがたいお言葉を頂く。

 

いわく、「散歩をしているだけなんて何の生産性もない」とのこと。

 

私の趣味はたった一日2,30分ラジオや音楽を聴きながら散歩することである。しかしどうだろう、氏は週末の半分を趣味のために家を空け、新婚ほやほやの妻が待つ自宅に意気揚々と帰っているというではないか。

 

私は工業機械ではないので趣味の時間まで生産性を求められても大変困るわけである。世知辛い世の中のせいで自分の趣味は他人のそれに比べて何かを生み出しているはずだと思いたくなっているのであろう。本人の責任ではなく社会の責任なのである、これは。私は氏を責めようとは思わない。

 

しかし何を言っても揺るがない事実は、彼は週末を費やし、新婚ほやほやの妻を家に残し、年間2,3匹の釣果のために渓流釣りに行っているということである。つまり彼は私より、1年あたり数匹の魚のぶん、生産性が高い。

 

 

無題

十二月某日

 

晦日は二年連続でそば屋のそばを食べることに。ど○兵衛で済ませるのも結構好きだが、やはりそば屋のそばを食べるのは年末を過ごすうえでは非常に格式高い儀式といえる。

 

今年のそばは徒歩一分の距離にあるそば屋に発注。当日そばを取りに行くと、店内でのんびりしているそば屋一家にぬる~く歓迎される。店でのイートインはお休みで年越しそば業務オンリーでの営業だという。ちょうど店主がいないところに来てしまったため、「確か2800円だったよね」みたいな感じの、店番を任せるにはかなり頼りないファミリーとお代のやり取りをすることになった。おっさんが一服しており、完全に喫煙室だったが、すべてが愛すべき年末の雰囲気に思えて年越しそばに対する期待のボルテージが最高潮に。

 

今年は年末恒例の番組がなくなったことでお笑い特番みたいなのがいくつもやっていたが、母の一存でやはり我が家は韓国ドラマを見ることになった。母の韓ドラ好きは結構なものだが、割と世の中の人(母ぐらいの世代の人)はみんなこんな感じらしい。かく言う筆者はいわゆるヨン様世代の親を持ち、KARAに始まりTWICEの音楽に親しむ世代であることもここに記しておかなければならない。

 

 

 

一月某日

 

Spotifyではその年に自分が聴いていた曲やアーティストをまとめてくれるわけだが、期待を裏切らず1位から5位まで全員韓国の女性アーティスト。しかしいいものはいいのでしょうがない。

 

なんとなく毎年、Kポばかり聞かないように抗いつつも、終着駅はやはりKポである。何かの記事で人の音楽の好みは13歳くらいの頃に聴いていた音楽の影響を受ける、というのを見たが13歳のころはSuper Juniorしか聞いた記憶がないので納得である。

 

とは言いつつ、今年はKポ以外の音楽を色々聴くようにしようと本気で思ってもいる。心のどこかでは誰に頼まれたわけでもないのに、アマピアノやらグライムを必死に聴くことに何の意味があるのか、と思ったりもする。

 

※追記、2月2日時点での個人的ベストアルバムは安全地帯の「安全地帯IV」ということになっている。

 

 

 

二月某日

 

spotifyが炎上し、筆者がよく聞いているポッドキャストも引き上げを検討しているというので、突然サブスクどれにする問題が再燃。好きなポッドキャストが聞けないならスポに金を払う理由はない。

 

もともとアップルのエコシステムの中にいた筆者であるが、3か月無料みたいな広告につられてスポに乗り換えて早一年である。使ってみて分かったのは、スポは音楽もポッドキャストも同じところで聴けるし、プレイリストもちょうどいい量で便利だということ。欠点は音が小さい、ということである。一長一短あるが、筆者はポッドキャストを聞く頻度が高いので、正直断然スポ派であるが、やむなくまたアップル出戻ることになりそうだ。

 

そんなことよりもやはり、このご時世ポリコレポリコレである。渦中の大御所アーティストは「企業がどんなコンテンツを扱うのかが自由なように、自分の作品をどこに置くかはアーティストの自由」みたいなことを言っていたが、我々消費者はそうした判断に振り回されて大変である。スポから引き揚げられたらアポに。アポから引き上げられたら次はどこだろうか。ちなみにアポはキャリア割引で6か月無料である。チアース。

 

 

 

二月某日

 

最近好きな映画はカンフーパンダである。最初弱いパンダが修行を積んでメチャ強くなるベタなストーリーが最高である。

 

とにかくどんな映画であろうともクライマックスで確実に顔をくしゃくしゃにして泣いてしまう。感受性豊かなせいかと思っていたが、加齢で脳の働きが衰えていて、感情のコントロールが効かなくなっているだけらしい。酒を飲んで泣いたりした記憶もあるが、若ければ感情豊か、年を取ればヒステリーである。