無題(加筆)

三月某日

大学の卒業式に出席する。同期に一年遅れての卒業となった。

 

前日くらいまで出席するかどうか非常に迷ったが、お世話になった先生に顔を見せないのはなんとなく不義理である。大学五年間でしこりになって残っていることもあるが、最後なのでそういうのはちゃんと片を付けておきたい。

 

 

 

四月某日

仕事の関係で某県へ。数週間の本社研修である。

 

本社所在地は田舎者の筆者からしてもびっくりの田舎具合で、町のはずれにあるビジネスホテルに幽閉され、会社とホテルを行ったり来たりする生活は結構ボディーブローのようにじわじわ効いてくる。

 

たまたま研修時期が重なった先輩たちと毎晩外食に出かける。なんだかんだ言っても筆者は世の中を知らない小鹿のようなものである、先輩の10年弱の社会人生活で培った処世術を聞かされるのは社会の荒波を全身で受けているような気分で、まだまだ筆者にとってはハードであった。

 

 

 

四月某日

研修を終えて配属先の某県某市へ。移動にかかる交通費は全て支給されるが飛行機はチキチキ格安航空を予約し、育ちの良さを見せつける。

 

飛行機と新幹線を経由し、新居までのラストワンマイルはタクシーに乗る。タクシーの運ちゃんは五所川原の出身だそうで、久しぶりにもったりした東北なまりを聞いて一安心。別れ際に激励の言葉をかけられて新居へ向かう足取りが弾んだ。

 

 

 

五月某日

上司より、筆者の趣味である散歩に関してありがたいお言葉を頂く。

 

いわく、「散歩をしているだけなんて何の生産性もない」とのこと。

 

私の趣味はたった一日2,30分ラジオや音楽を聴きながら散歩することである。しかしどうだろう、氏は週末の半分を趣味のために家を空け、新婚ほやほやの妻が待つ自宅に意気揚々と帰っているというではないか。

 

私は工業機械ではないので趣味の時間まで生産性を求められても大変困るわけである。世知辛い世の中のせいで自分の趣味は他人のそれに比べて何かを生み出しているはずだと思いたくなっているのであろう。本人の責任ではなく社会の責任なのである、これは。私は氏を責めようとは思わない。

 

しかし何を言っても揺るがない事実は、彼は週末を費やし、新婚ほやほやの妻を家に残し、年間2,3匹の釣果のために渓流釣りに行っているということである。つまり彼は私より、1年あたり数匹の魚のぶん、生産性が高い。