無題

八月某日

 

コロナが再び勢いを取り戻し始める中、忍び足で日韓交流会へ。なんだかんだ言っても、こういう状況で交流会をやったりしていることは結構調子がいいと思う。

 

交流会には日本の企業(在日本)から内定をもらったけど、ビザの問題で入国できずにいるとか、もうちょっと身近な話で行くと、彼女と会えないとか、コロナのせいでなかなか歯がゆい思いをしている人も多い。

 

国家間の対立によって仕事ができなくなったり、友達恋人に会えなくなったりするというと、なかなかスケールのでかい話であるが、自分もそうした影響を十分に被りうる立場のど真ん中にいるわけであり、本当に辟易してしまう。

 

外国の友達や恋人と会ったりできるのは、当事国同士の政治的安定に依存しているといえばそれまでではあるが、だからと言って泣き寝入りせず、特に私たちのような当事者は大小問わず、市民に理不尽な思いをさせる国家に対して真正面から盾突いていかなければならない。

 

正直このご時世に留学に来なければ、国家間の対立の巻き添えをくらうということを、身近に体感することもなかった。こういう経験をすることによって世の中にいろんな立場の人がいて、それぞれが国家のせいで理不尽な目に合わないために与えられた権利を行使しなければならないのだと身をもって感じる。

 

 

 

九月某日

 

何の前触れもなく、自分の地元の話題から、福島の話になり、福島に対する差別、比較的福島に近い地域に住んでいるということで、がっちり差別を受ける。

 

本人は冗談めかして言っていたつもりだろうが、兎にも角にも差別は一発アウト(2回言われた)、友人にそういうことを言われると友人としてもアウトである(この辺の線引きはかなり難しい)。

 

福島のことで差別を受けることは全く想定外だったし、差別の内容も福島やその近隣の県から来た人を差別する類の発言だったので、発言した当人の想像力、教養、礼儀のなさを責めるほかにない。

 

しかしそういうことがあるたびに、自分の身の振り、言動を顧みることが他国の友達と付き合っていく上では本当に大事であると思う。お互いの国について全てを知っているわけではないし、特に福島のような政治的にも社会的にもセンシティブな話題については、知らないならむやみに口を開かないのがベターである。当たり前のことだがなんとなく再認識できたのはよかったのかもしれない。

 

 

 

十月某日

 

日本では政府が総合的、俯瞰的な観点から暴挙に出て、アメリカでは暴走老人がディベートを繰り広げる中、韓国はバカンスに行った外務大臣の旦那が糾弾されている。もし今日本の総理がバカンスに行ったら「総理も人間だから休みが必要」みたいな感じになるのだろうか。

 

 

 

十月某日

 

見慣れたはずのヘイトのおかげで急にバッドに入り大好きなツイッタースマホから削除。

 

ツイッターでもなんでも、自分の見ているものは所詮自分が共感している側の主義主張であることに間違いないはずなのだが、何をどうやってもヘイトやら差別やらは目に入ってきてしまう。

 

まあ反対側の主張にに目を向けるのも大事だが、結構滅入ってしまうこともあるので付き合い方は考えていかないとと思う。