無題

十二月某日(加筆修正済み)

 

私は親戚がめちゃめちゃ嫌いである、、、と書き始めようかと思ったが、ネットで「日本人は暗い」みたいな文を見て、踏みとどまる。

 

韓国から帰ってエモくなっているところに、親戚のお土産を買ってこいという母からの指示に嫌気がさしただけだったのであった。

 

 

 

十二月某日

 

二週間の隔離期間を終えて、約九か月ぶりに自宅に戻る。

 

思えば、二週間の隔離期間中はずっとぼ~っとしていたため、あまり記憶がない。

 

向こうにいたころの思い出などを振り返りながらぼ―っとしていると、あっという間に時間は過ぎてしまうなと、静かに平手打ちをくらったような気持ちになる。現実に戻らないといけない。

 

口では隔離などと言いつつ、最後の一週間は大都会東京に長期滞在することはなかなかないと思い、積極的に外出をしていた。さらにうれしいことに、政府がクーポンをくれたのでここぞとばかりに、百貨店で虎屋のヨーカンを二本も買ったりもした。所詮は貧乏人、お上がタダでくれたものを無駄にはするまいと、命をなげうって百貨店を這いずり回るのである。次とらやのヨーカンを二本買いできる日はいつ来るだろうか。

 

自宅に帰ると飼いウサギの「うた」がヒキガエルのように太っていたが、丸いものが好きなのでとてもかわいいと感じた。ケージの外にもほとんど出さず葉っぱと飼料をひたすら与え続ける飼い主を許しておくれ、、、、泣

 

 

 

十二月某日

 

なんとなく就職は福岡でしたいと思い始める。

 

理由は簡単、釜山が近いし、自分の能力を生かせる仕事が多そうだからである。加えて冬でも暖かそうなのもかなり魅力的だ。隔離中に風邪を引いたまま寒い実家に帰り風邪をこじらせてしまっている。

 

 

 

閑話休題、留学を通して学んだことの中で非常に教訓になったのは、大体の決断はそんなにハードルが高くないことである。

 

腰を上げるまで非常に時間と理由を要する性格上、留学に行くまでは海外研修に行くのもなんだか億劫で尻込みしていたのだが、尻さえ上げてしまえば、あとは事務的な手続きが残っているのみである。実際あれほど尻込みしていた韓国留学も銀行に金を振り込み、書類を数枚書いたら、韓国に行けた。こんなご時世に行ったのにちょっと太って帰ってきてしまった。もちろん運が良かったしたくさん助けてくれる人がいたおかげである。

 

やはり、想像もつかないことをやったり想像のつかない場所、ちょっと脇道のほうの選択肢に行くのは尻込みしてしまうが、枝分かれのもう一つのほう、もしくは全く違うほうに行くのは意外と簡単でシステマティックである。