二月某日
2021年もほんとに暗いニュースが多いですねーと思った矢先、地震が発生。
今回の地震は3.11の余震らしく、ヘタするとあと二百年くらい余震が続くかもしれないらしい。
震度四とはいえ、久しぶりの地震でかなり気が動転し、何より先にコンセントを引っこ抜いたのは失敗だった。火元や電源には触らない方がいいとのこと。しかし、家に燃えられるのも困る。
思えば、地震の時にどうすればいいのか、ということを意外と真剣に考えてきていないことに気づく。明日家がなくなりうる国に住んでいる、という事実は、大地震を経験しても、なかなか自分事としてとらえることが難しい。
ところで地震の時に真っ先に連絡をくれたのは韓国の友達であった。どこにいようとも、気にかけてくれる人は気にかけてくれている、というだけのことであるが、とても有難いことである。
二月某日
働かざるもの食うべからず、アルバイトを始める。
バイトは二年くらいやっていたことになるが、ずっと同じ弁当屋で働いてたので、今回のバイトは人生で二つ目のバイトである。
今回のバイトは、かなりお硬めの業種なので、少なくとも、上司をビンタする板前のおっさんがいたりすることはないだろう。
とりあえず家から近く自給が良いということで選んだだけなので、特に思うところはない。
二月某日
試験を受けに仙台へ前乗り。仙台は地元から片道3000円、三時間弱の東北最大の都市である。
ちょうど一年前の同じ時期にも、ビザを申請しに仙台に来たことを思い出す。駅前のベンチに座っていたら、飛行機がなくなったのでプランを練り直してくれ、と旅行会社から電話がかかってきたのはもう一年も前のことである。時が流れるのは早い。
仙台に来ても特にすべきことはないので、楽天の球場を見に行くのが毎回の恒例となっている。山形県出身の選手が一人在籍しているので、グッズがあれば何か買って帰ろうかと思ったが、まだグッズが製作されていなかった。残念。マー君も帰ってきたので今年は野球を見に行きたい。
三月某日
外国語で会話をすると、いかに普段日本語を使っているときの自分がひねくれているかがわかってよい。
外国語を使うときには、相手の意思をくみ取ることや、自分の意思を伝えることに集中できるが、日本語を使うときには相手の話を聞いているように見えて、自分のいいように、偏見でこねくり回してしまう(常にそうだというわけではないです。)。
外国語を話すときの私が目の澄んだ少年なら、日本語の時はつまようじをくわえながら人の話を聞いているおっさんである。私はメガネのおっさんなのである。
三月某日
伯母はなぜか、我が家が夕飯でひっぱりうどんを食べているときに決まってやってくる。
今回は祖母から畑用の土を買って来いと頼まれやってきたのであったが、母はなぜ自分に頼まないのだと祖母に激怒。なぜか祖母は遠くに住んでいる伯母にお遣いを頼んでは、母を怒らせている。同じ理由で五年くらいけんかを繰り返しているのだが、一向に出口が見えない。
おそらく祖母は、母ばかりに頼んでは悪いからと、よかれと思って、伯母にお遣いを頼むのだが、祖母の身の回りの世話をしたいと考えている母からすると面白くないわけである。お互いによかれが届いていないのだ。
前は親は自分のことを何でも分かっているのだと思っていたが、全くそうではないとわかって久しい。親子でもわかりあうのは難しいのに、況や他人同士をや。