大邱旅行後記

八月某日

夏休みということで、ここぞとばかりに一人、韓国第三の都市(第四説もあり)、大邱へ。

 

日本にいた時から、大邱出身の知り合いや先生がいたり、なんとなく興味があったのだが、偶然みた大邱出身のおっさんユーチューバー(도시백수で検索)にどハマりしてしまい、動機は十分であった。

 

計画した時点では、旅の目的は、大邱名物のホルモン(釜山のほうがうまいと言う友達もいる)を食べることだったので、一人でホルモンを食べるのはきついなと思い、外国人の友達を連れて行こうとしたのだが、直前になってドタキャンをされ、まんまと1人旅をすることになってしまった。こうなると、飯を食うにも1人用のお手軽なやつを食べるしかないので、飯を堪能するべくもない。

 

当日はムグンファ号(特急みたいなやつ)に乗り、2時間くらいかけて大邱にむかう。車内はあまり綺麗ではなく、座席もキコキコした感じの、必要最低限のクオリティといった感じだが、特に気にならなかった。

 

到着してすぐ、昼食にご当地グルメを食べたが特筆すべきものはないので割愛。

店を出てどこに行こうかと考えていた矢先、モバイルバッテリーを携帯してきたもののアダプターを忘れ充電できないことに気づいたが、僕らのダイソーに助けられ一命を取りとめたあと、第一の目的地である大邱83タワー(以下、大邱タワー)へ。

 

大邱タワーには電車と徒歩で行ったのだが、韓国は電車が都市鉄道スタイルなので、都市ごとに改札や車内の装いが若干違っていて、旅行に行く際は楽しみの一つとしてみることもできそうであった。

 

地下鉄を降りて1キロちょっと歩くと、市街地を外れたところに大邱タワーがみえる。タワーが見えた時点で結構田舎っぽいところに来ていたが、タワーはEワールドという遊園地の中にあるので、田舎にあるのも納得か。タワーに登るにはEワールドの敷地に入らないといけないのだが、コロナ対策として電話番号提示を求められる。もともと私は半年の滞在予定で、平常時には半年くらいなら電話番号(韓国の)はいらないといわれていたため、電話番号を取得していなかった。しかしコロナ禍のおかげで、身元の特定を徹底するお国柄、電話番号がないと何かと不便なことも増え、今となっては少し後悔している。 

 

幸い、日本の番号でも連絡先を記入すれば入場していいとのだったので、玉のような汗を流しながら(大邱は韓国一暑い都市といわれておりこの日も暑かった)、番号を記入し、入場。平日の昼かつ、曇天ということも重なって、景色を見るためだけにあるタワーにはまるで人がいなかった。展望台には私のほかに5人くらいしかいなかったと思う。

 

前述のとおり、曇天かつ少し雨模様で、遠くの見通しもあまりよくなかったせいで、景色がきれいという感じではなかったが、地形がよく見えて、「やっぱ知らね土地さ来たら行くべきはタワーだな」と思ったのであった。ちなみに大邱は盆地なので、基本的に、町が展開されているところは平らなところが多く、山の隙間に無理やり建物を建てた感じの釜山と比べると、非常に規則的な感じで都市が整備されており、ちょっと興奮した。

 

なんだかんだで一時間くらい下界を眺めたのち、次の目的地、西門市場へ。ちなみに市場に行くためには、地下鉄三号線のモノレールに乗る必要があるのだが、モノレールは大邱三号線しかない(?)という情報をキャッチしていたため、これもちょっとしたたのしみであった。

 

モノレールに対する期待が異常に高ぶった手前、ホームで若干中腰になりながら、入ってくる電車をカメラに収めようとするその姿は、撮り鉄そのものだったかもしれない。とにかく韓国で見るモノレールに大興奮してしまい、大満足したのであった。

 

モノレールに乗り数分で目的地の西門市場に到着。

 

私は市場に行くたび、飲まず食わずの買わずでとにかく市場の中を歩き回ってひたすら雰囲気を楽しむスタイルである。世界中どこの市場を見てもそうだと思うが、市場フードみたいなもののほかにも、服がめちゃくちゃ安く売っていたり、大量の靴下が売っていたり、店先でおばちゃんが寝ていたり、そういうところがめちゃめちゃ楽しい。

 

それと奇しくも、私が市場に行くときにはなぜか毎回一人なので、屋台でおばちゃんと一対一になりながらご飯を食べるのは結構きつい。雰囲気に耐えられないとかではないし、やってみれば多分かなり楽しいと思うのだが、もし仮に話が盛り上がって、おばちゃんと仲良くなったりしたら、感動で昇天してしまいそうなので自制している、みたいなところがある。気持ち悪いですね、、、

 

というわけで、一通り西門市場を見て回った後、結構疲れてしまったので、休憩がてら、これも名物のあんぱんを食べに、「大邱近代通り」なるところに移動。我ながらあんぱんをリサーチしておいたところで、疲れて糖分が欲しくなるといったあたりは、美しいほどのスムーズさであった。今振り返ってみると、あんぱんを食べるまでの旅行全体の流れの良さは過去イチだったと思う。

 

あんぱんとコーヒーを注文し、おじさん二人組しかいない店内で休んでいると急に疲れが押し寄せてきて、結局一時間半くらい座り続けてしまった。`この時点で18時くらいで、帰りの電車は九時くらいだったので結構時間があり、残りの時間をどうやって消化しようか悩んでしまった。

 

順当にいけば晩飯を食べて旅を締めくくるのがよさそうであるが、疲労も相まって腹が全く減らずひたすら中心部を歩き回り、時間をつぶして旅を終えた。あの時点でもペース配分をもっとうまくして晩飯までこぎつけるべきだったと思ったが、私は一人で旅行をすると毎回こうなることを思い出して、まあこれはこれでいいよね、などと思いながら帰りのムグンファ号に乗り込んだ。ちなみに疲労マックスで乗るムグンファ号の座り心地はなかなか最悪であった、、、

無題

 

七月某日

 

コロナコロナで気がめいっているところに災害級の豪雨。去年それなりに大きな地震が来たとはいえ、3.11の時も大きな被害をまぬかれた地元の山形でも「五月雨を、」で有名な最上川おしんでも有名)が氾濫し、「いよいよ逃げ場がなくなったな、」みたいな気持ちに。ちなみに筆者はおしんを見ていません。

 

コロナ禍で政府も助けてくれない国だということが鮮明になっていく中、我々世代には年金やら定年延長やらただでさえ負担が重いのに、その上に災害が重なり、本気で「人生百年時代なんてこっちから願い下げですね、、、」みたいに思っていた中、嘱託殺人のニュースを見て、「願い下げする権利すら奪われる未来、、、」と空を見上げてしまった。

 

確かに、今の政府は何もしてくれなさそうなので、めいめいが食い扶持を得れるようにやっていくしかないが、自分でどうしようもできないことは政府に頼るしかないのは自明である。自己責任論を振りかざして、駅からホームレスを追い出したところで、明日は我が身であるということはコロナ禍で嫌というほど感じていいはずなのにどうしたものか。単純に想像力の欠如とかそういう問題なのか。

 

八月某日

 

生活必需品を補充しに、ダイソー、無印、ユニクロへ。いうまでもなくゴリゴリの日本企業である。ダイソーだけ少しラインナップが違うと認識しているが、それでもほとんど自分の国と同じように利用できるのは善か悪か。(追記、日本ダイソーと韓国ダイソーは別会社だそう)

 

日本にいる時から、チェーン店に対してある種の嫌悪感というか、複雑な感情があったが、結局非チェーン店を探したりするのは面倒だし、そもそもそういう嗅覚とか感覚の豊かさを持ち合わせていない。資本主義万歳。

 

八月某日

 

同じ海でも国が違えば呼び名が変わるように、同じ日でも国が違えばその日の持つ意味は全く違う。

 

向こうの国の海岸はこちらからは見えないし、それは向こうからも同じであるが、見えないからそのままにしておくわけにはいかないし、相手の国のことを知ろうと思ったら、想像力と、相手への関心を持って常にもっと、もっとと、知ろうとする努力が必要である。

 

しかし悲しいかな、知ろうとする方法の中には、たやすく知った気になれる道具はあふれているし、インターネットにも書店にもそんな感じのものだらけである。

 

そういった、ある種便利な道具と距離を取りつつ暮らしていくことは、この上なく文化的で、豊かな行為であるが、もちろんその豊かさは時間とペイオフの関係にある。素早くより明快で、時には痛快さまでも求められてしまうとき、私たちはそうした安易な道具に頼って、自分の知識を伸長した気になってしまいがちでもある。しかし、いくら時間に追われようとも、自分が大事にしたいものに対しては安易なことはしたくないし、常に二択を並べていくような姿勢も可能な限り避けたいと思う。

 

 

 

 

無題

五月某日

 

何か月かぶりに付き合いの長い友人4人くらいと通話をする。まめに連絡を取る友達がそこまで多くない(「まめに」がどのくらいの頻度なのかわからないが)私にとっては非常に貴重な存在なのだが知り合ったころとは自分の性格や思考が変わりすぎて、話が合わなくなったり頻繁に連絡をするのがおっくうにも感じることもある。それゆえ急に旅行に行く話が出て「旅行まではちょっと、、、」みたいな感じになってしまった。

 

いくら仲がいいといえども、個々の性格の変化とともにだんだん関係も変化していくし、住むところややっていることが変化していけば付き合いも薄れて行ったりする。しかし中にはそれに抗いたい人、出会った当時のバイブスと関係を維持したいという人もいて、そういう時は相手方の期待にお応えできないわけなので何とも言えない気持ちになってしまう。

 

こうして言葉にすると自分はただ連絡するのが面倒なのでは?とも思うが、昔の友達のことも気にかけていて、たまに連絡を取ったり、するのが自分には合ってそうだなと思う。

 

 

 

六月某日

 

なんだかんだで友達がたくさんできて一週間のローテーションでは全く回せない数の友達ができてしまう。正直コロナコロナ言いつつもほとんど外出を自粛せず友達作りに励んでいたので日本出国時のビビりようからするとかなり驚きである。

 

よその国にお邪魔させていただいている身分で友達が増えすぎてなどというのは本当に恐縮である。私が日本人であるがゆえに、それなりに興味を持ってくれて友達と付き合うことができているから、なおさら優先順位をつけるようなことはなかなか気が引ける。

 

相手が韓国人で興味があるから、日本にいる時よりかはかなりオープンかつ相手に関心を持って人と関わっているが、果たして日本に帰ったら今と同じように相手に対して関心を持って付き合っていくことができるだろうか。

 

 

 

六月某日

 

「日本人は」「韓国人は」などと主語をでかくするとなんだかわかりやすそうではあるが、意外と役に立たない。

 

最初韓国に来た頃は、会う人会う人を「韓国人のイメージ」に照らし合わせて、この人は韓国人ぽいな、この人はそうでもないな、などと考えていたが、こういうのはなんか感受性に乏しい気がするがそのフィルターは決して外れないし、ないほうがいいとも限らない。

 

自分は結構、韓国人のイメージとか、ある種の偏見を挟んだ視点から脱したい、みたいなきらいがある。そもそもそんなことは対日本人でもできていないのに外国人を相手にその「人」そのものを見る、みたいなことはあと何十年かかったらできるようになるのだろうか。

 

 

 

六月某日

 

悩み事ができて朝四時とかまで寝れない体になってしまう。今までほとんどこういうことがなかったのでなんだか新鮮な気もするが睡眠はしっかりとったほうがいい。

 

二年位前にも悩み事と早朝アルバイトの疲労が蓄積しおかしくなったことがあったが、そのころから音楽を聴いて泣いたり、見る映画ほぼすべてで顔をくしゃくしゃにしながら泣く体質になってしまった。最近は玉置浩二で泣いた。(田園)

 

 

 

七月某日

 

最近知り合った友達に鋭い指摘を受ける。簡単に言うと、人の質問に対してはっきり答えないというもの。うすうす似たようなことを自分でも感じていたがめちゃめちゃはっきり言われたし、言われたことがなかったので(そう思ってた人はいるだろう)、すごくびっくりしてしまった。

 

 

 

七月某日

 

一か月くらいぶりに一番仲のいい友達に会う。あっていない間にいろいろ大変なことがあったようで久しぶりに電話した時には思わずもらい泣き(むこうは泣いてなかったけど)してしまった。

 

彼女はたまに「あなたが外国人だから何でも話せるのかも」という。そのまま受け取れば私が外国人であることはおおむねコミュニケーションをとる中でいい方向に作用していそうだが、コミュニケーションをとれる程度に韓国語を学んで調子に乗っている私にとっては何とも言えない疎外感みたいなものを感じてしまう。とはいえ彼女は「韓国語が下手で外国人っぽい」と言いたいのか、純粋に外国人の友達としてみているからそういうのかはわからない。

 

悲しい事実として私はひとまずあと数か月で日本に帰らなければならないし、そのあと韓国で就職をしようとしているわけでもないので、最終的には「海の向こうにいる外国人の友達」的な立場で友達と接していくことになる。そうなったらいつまで、今いる友達のうち何人のことを「海の向こうの韓国人の友達」として気にかけていけるだろうか。

 

 

 

 

 

留学後記隔離解除編

コロナ禍が最高潮に達した二月の末に、日本からやってきた私を待っていたのは二週間の隔離生活であった。今となっては「隔離」も聞きなれた言葉になり、コロナ関連の単語では比較的ポップな響きさえ感じられる。時代の先駆者みたいなツラをして二週間部屋から一歩も出(れ)ず、甘んじて隔離されていた私だが、今更隔離中に見たネトフリのレビューなんか書いても二番煎じもいいところだし、実際にはヤ○ーの記事を眺めてため息をついていたことくらいしか覚えていないので隔離期間中のことは書かないことにしたい。そんなわけで隔離が解かれたのだが、対面授業ができないので、友達は隔離解除後に出会った日本人三人だけという留学生にとっては最悪な状況になってしまった。

 

 

 

三月某日

 

何とかして友達を作ろうと思っていた(無策)矢先、日本人の友達から言語学習アプリを教えられ、まんまとダウンロード。基本的にはメッセージをするためのアプリっぽいが、現地にいるので○ィンダーと全く同じ代物を得たことになった。日本にいるときは出会い系アプリで人と知り合うことに懐疑的だったが、こういう状況だと、たまたま同じ大学にいる日本人と、アプリで出会う韓国人のどちらが信用に足るかなどと言うのはナンセンスである(適当)。インターネットの人と会ってみるみたいな経験は今までしたことがなかったが、政府の統計も信じられないこの時代では、「日本語を学んでいるという韓国人」にインターネットを通じて会ってみる、みたいな話はめちゃくちゃ調子がいい。

 

三月某日

 

年上男性(仮にヒョン1とする)とアプリで友達になった後、二人目の人に会いに隣の市にバスで一時間かけて移動。当初女だと思っていたが会ってみるとひょろっとしたメガネの男子大学生であった。どうやら彼はこの手口で人と会っているらしく、自分のネットリテラシーの低さに絶望した。別に男女どちらでもよかったが、女と思って会いに行っているわけなので、合った瞬間帰りたくなったことは言うまでもない。さらに彼は、パーソナリティが卓越してきもかった。あって二分くらいでAVの話をし始め、女優にあったことはあるか、出演したことはあるか、おれはゲイものも結構好きだ、お前の学校のベトナム人と3発、、、などとありとあらゆる猥談を披露してくる相手方に対して、「この後犯されるのかな、」とまで考えてしまった。基本的にそういった話はあまり積極的にするタイプではないが、何かのご縁ですから、と深田えいみをお勧めしてあげた。結局彼はあって30分ほどでお母さんから召喚され、帰ってしまったので期せずして別れることになった。猥談以外にも安倍晋三山本太郎に追及される動画が面白いなどと言って見せてきたり奇行が散見されたためその後は一切の連絡を遮断しているが、深田えいみを気に入ってくれたかだけは、何かの折に確認したい。

 

5月某日

 

日本が緊急事態宣言で外出自粛を余儀なくされる中、韓国では国会議員選挙が行われ、おおよそ日本と同じタイミングで連休に突入した。このころすでに韓国は外出自粛モードからは脱しており政府としては、ソーシャルディスタンスを保ち、人の多いところを避けたうえで旅行などを楽しんで下さい、とのコメントを出していた。今考えるとこのメッセージは、ある程度の感染再拡大は織り込み済みのコメントと考えてよさそうである。結果的には済州島に数万人の観光客が押し寄せたり(クラスターにはならず)、梨泰院ではクラスターが発生してしまい、若干コロナ再燃に近い状況になっている。また、梨泰院のクラブの件に関しては、クラスターになったのがゲイクラブということもあってネットではマイノリティへのお門違いな批判が散見されていた。そういう状況になると決まって、「ゲイの人たちを批判するのは違くない?」みたいな人たちがツイッターとかにあふれるのだが、そういうツイッターの流れは特別変わったことではないし、コロナ以前からもよく見られた光景である。しかし今回の件に関していうと、「ゲイクラブを批判するのは差別だからよくない、言いたいのは気がゆるんでクラブに行った人たち。気を緩めたらすぐに元に戻っちゃうんだよってことを分かってほしい」みたいなツイートがあふれかえっていて本当に気持ち悪くてカオスであった。こういうツイートをしている人たちは自主隔離とか外出自粛を頑張っている人たちに多かったが、かなり視野狭窄っぽいツイートに見えてしまう。なぜならクラブを運営する側の人たちも生活をかけてやっているし、そこに行って金を落とす人たちのことを無責任だ、などと言うのはあまりにも自分勝手であると思うからだ。さらに嫌なのは、そういった経済の仕組みはなんとなくわかっていながらも「気のゆるみ」などと精神論に走ってしまうその精神性である。自分が遊びに行かず自粛を頑張っているのに気の緩んだ誰かのせいでコロナが再燃し、自粛生活が伸びたらどうしてくれるんだみたいな気持ちもわからなくはないが、自粛して金を使わないあなたと、クラブで金を使ってコロナをばらまくことのどちらがどれくらい悪いなんてことは言えないのである。「命のほうが大事だからクラブに行くことのほうが悪」などといったところで、飯が食えなくなったクラブの人が死ねば、感染しなかった「あなた」は死ななくても別の人が死んだので社会的には同じことである。などと考えていた矢先、それなりに尊敬も信頼もしていた教育者が似たような例の精神論ツイートをしているのを見てかなりげんなりしてしまった。家で仕事ができる人は得てして感染リスクがプライオリティになりがちであり、だからこそ「気の緩み」みたいなことを言ってしまうわけであるが、社会的には感染者を抑えながら日常生活を再開するのが目的なのだから、はっきり言って感染者数が増えてもクラブに人が集まる状況はそこまで攻められるべきものではないし、むしろそこを目指して自粛をしているようなものであるのだ。

 

ツイッターを見てると気の緩みなどと言って「団結」をあおる自粛ポリスがめちゃめちゃたくさんいるが、こういう時こそ団結しようとせずめいめいが粛々と、できる範囲で行動しつつ、人の行動には口出ししないことが一番であると思う。

 

 

 

 

 

 

留学後記発着編

 

 

 

母に空港まで車で送ってもらい、朝1番の便で羽田空港へと向かう。本来なら家族との別れを惜しむはずが、私の頭の中はきっとウイルスがウヨウヨしているであろう羽田成田でいかにウイルスを避けられるか、そのことでいっぱいであった。小心者の私は、陸の孤島と呼ばれる地元の庄内空港にいる時点で警戒レベルMAXで、持参の消毒液をこれでもかと手指にかけまくる。母にもらったアリナミンをぐっと飲み干して軽く腹を下したのち、地元を後にした。

 8時ごろ羽田について間も無く、国際線に乗るためにとりあえず成田に移動する。とはいえコロナ禍の影響を受け1日一便になった成田金海便は19時なので、時間に余裕はたっぷりあった。人の多そうな成田で10時間近く滞在するのは、戦場に行くのと同じレベルの警戒度である。そんなにコロナが怖いなら人の多そうな空港での滞在時間を削ればいいじゃないかとも思ったが、チケットのキャンセル代を惜しかったので断念。「貧乏人は防疫すらできない」などというのは被害妄想かと思ったが、緊急時に金を惜しむ金銭感覚というのは貧乏人そのものであり、あながち間違いではなさそうである。とはいえ、留学に行かせてもらった母には感謝で頭が上がらない。

 成田空港に着くと腹が減ったのでハンバーガー屋でハンバーガーを2つほど買い、食べることにした。レジにやってきたヤンキーたちはマスクもせずコロナなどお構いなしに見えたが、後の事を考えると、あのくらいの構えでいれたほうがなんだか調子がよさそうだし、彼らは絶対コロナにかからなそうに見えた。当然私は石橋を叩いて渡るタイプなのでバーガーをびしっとテイクアウトし近くの神社で昼食。もちろん持参の消毒液で手指を消毒し、メガネもアルコールシートで拭く徹底ぶりである。道行く人の視線を感じたが、最善の策を尽くしているのだと言い聞かせハンバーガーを平らげた。

 そうこうしているうちに飛行機の時間になり、一連の手続きを終えて出国。すでに大流行を見せるコロナのおかげで、1日一便になった成田金海便でさえ非常に閑散としていた。金海は地方の空港なのでそもそも混んでいないのかもしれないが半分くらいの席は空いていたように思う。飛行機の中では韓国に行ったらあれを食べたいこれを食べたいなどと考えながら1人ニヤニヤしたりもした。考えてみると今までは言語を学んでいるとはいえ、今まで一回しか行ったことのない存在だった韓国に行くというのは非常に現実味がなく、この時点でもまだ状況が把握できていない感じであった。

 空港に着くと留学先の職員の人が迎えにきてくれており、韓国の空気を吸うゆっくり暇もなく移動。輸送車はビニールシートで前後が遮られており韓国に降り立った時のふわふわした気持ちは一瞬で消え去った。ビニールシート越しに外を眺めると土曜日夜10時だが車は全くいないに等しい。この時すでに韓国では在宅勤務がスタートし、外出自粛もすでに始まりつつあったので当然の光景であった。送迎をしてくれた職員の人は日本に留学していたらしく日本語が堪能だったが、大体韓国語で会話をし、ビニールシートの効果が薄れそうなほど楽しく話した。聞けば中国人留学生のキャンセルが相次ぎ入寮者の数も激減しているとのこと。具体的な数字も言っていたはずだが、1ヶ月もたった今となっては思い出せない。500人が200人に減った、とか言っていたかもしれない。

 寮に着くと、防護服を着た職員の方達に迎えられる。ぐるっと一回転し、全身を消毒されて、留学生活がスタート。この日から2週間の間は隔離措置が取られ部屋から一歩も出れない日々が続いたが、これもなかなか経験できない体験として次のパートで話そうと思う。

 

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